ミッション バンクーバー 3  ドナドナドナド〜ナー
思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!

ドナドナドナ〜ド〜ナ〜 な一日は突然始まった。 私は絶好調で凍った牛のウンチ frozen pizza(ミッショんバンクーバー1を参照)を一輪車に乗せていく。いつもじゃれてくるメス牛のクリスタルを適当にヘッドロックとかして一輪車を倒されないように、柵の中の牛のウンチを片付けていく。
 牧場フォークの使い方も絶妙で、Nancyも私のフォーク使いには一目置いていた?はず?である。(たまにほめられてたし)今日も気楽な気持ちで働くつもりだった。
 しかし今日は日曜日!いつもよりも緊迫している。なぜならイートンズが休みでROSSが牧場にいるからだ。ROSSは家にいるときは非常に寡黙で、たまに二コリと笑う牧場のいいかんじの親父さんだが、幸か不幸か牧場に立つと人格が180度かわる。 
 本日Rossはいつもより増して激しかったピリピリしていた。
Nancyはウンコとりのフォークと餌さやりのフォークをめんどくさかったのか、同じ物を使ってRossにガミガミ怒られていた。
「うーん今日はピリピリしてますな!」 と思いながら僕は黙々と仕事を進める。
 餌さやりと清掃を3人で終わって家に帰ろうかと思っていると、いきなり、ナンシーから、
「実は本日生後1年の子雄牛を2匹食肉業者に売る。」と伝えられた。多少動揺が私の中に起こったが、それならということで、食肉業者のトラックがくるまで、牛を乗せる準備をはじめる。
 (あとで分かったことなのだが基本的に優秀な牛はなかなか食肉業者には売られない。なぜならいい血統を保つ為子供をたくさん生ませる為である。BULL(雄牛)はその点、種をつけるだけだし気性も荒いし世話もしづらいので生存競争率が激しい。よほどいい素質がないと食肉工場行きである。)
やがて食肉業者のトラックが来て、我々3人がトラックに牛を追い込む。隣の柵にいる母牛達が大抗議を行う。モーモーと分かってるかのように、うるさく泣き喚く。(ナンシー曰く、母牛達は子牛が連れて行かれると1日中泣き喚くということである。) それをBGMにトラックに向かってじりじりと追い込むのだが、我々の手の間をするりと抜けてなかなかトラックの方に行かない。子牛といっても1年ちょっとたっているので、非常に大きく私の胸の下くらいまでの高さがある。母牛も泣き叫ぶので、興奮して雄牛2頭はロデオ牛の状態になっており、するどい蹴りとかいれてくる。当たったら骨くらいおれそうな鋭さだ。まあ命がかかっているので向こうも必死。(この子牛達には、他のメス牛にある名札のNAME TAGが付いていない。生まれた時からすでにこういう運命を決められたのかもしれない。)
 
 何度TRYしてもなかなかこの2匹捕らえられない。食肉業者のトラックのおじさんはゲートを持ってまだかと待ってる。Rossがだんだんいらいらしてきている。なんや牛にか我々にか怒鳴っている! NANCYがGRAIN((コーンとかの穀物)で牛にHAY(乾燥牧草)と一緒に牛に餌さとして与えるのだが、GRAINは牛の大好物!)を牛を呼ぶためにトラックまでばらまきはじめたのだが、それを見てROSSはもっと怒ってしまう。COWBOYにとっては、餌さでだましてトラックに載せるのは邪道と考えてるようだ。COWBOYとしてのプライドが許さないらしい。怒られてNANCYも逆キレの状態で、私も両親が喧嘩してるようでさみしい。 

 結局雄牛達も自分の将来が分かるのか餌さを食べに行かない。
結局30分くらい追いまわってやっとトラックに2頭の牛がトラックに乗り込んだ。零下なのに汗びっしょりで防寒の作業服の下は汗だくだ。3人ともフラフラ。ROSSは相当いらいら来たらしく、僕とNANCYに
「YOU TWO GO HOME!」と追い返した。 NANCYは気にして
「いつも牧場でるとああだからごめんね。」と私に言った。     しばらくして、 ROSSも落ち着いたらしく家に戻ってきた。すると、もうすっかりやさしい親父にもどっていた。
「なんか日本の職人さんのようにプロ意識が強いんだろうか?」 とこの変わりようを見て思ってしまう。
 NANCYがROSSに子牛が殺されるので悲しいと、ROSSに言っていた。 ROSSはそんなふうに考えてたら俺達暮らしていけないよ。」と言っていた。
「キリスト教は牛は神がつくったものだから、家畜は殺して当たり前だ。」という考えが強いと勝手に思っていたが、こういう風に考えてしまうクリスチャンもやっぱいるんだなあ。となんか共感してしまう。(まあ ベジタリアン人口も結構多いですしね!)

夕方になった。餌さと柵内の掃除にいったらまだ母牛は鳴いていた。今からずっと泣くのだろう! 掃除するとき僕の一番好きなクリスタルに「お前は牛肉にはなるなよ。」と告げた。
(あとでNANCYに聞いた話だが、乳牛も最終的にはDOGFOODになる確立が高いという!)
 そして、DINNERになった。 なんとオーブンから出てきたものは T-BONE STEAK 
「こら! NANCYいいかげんにしろ! 今日はだけはやめてくれ!せめてPORKにしろ!」と言いたかったが、そういう権利は私には無かった。
空腹には勝てず、日々練習してる(大きさは違うが)鋭いフォークとナイフさばきで! やっぱりSTEAKを食べてしまう僕!ステーキの味は最高だった。(余談ですが、私は日本のMARBLE(霜降り牛)よか、カナダとかアメリカ牛肉の肉って感じの食感が好きです。) まあスーパーのだったからDINNERで食べれたけど! アルバータとかの牧場では牧場で撃って親戚友達みんなででBBQパーティとかがあるらしいのでそれだったらつらかったと思う! 
  
バンクーバー 1
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カナダに必死の思いで到着して、バンクーバーメープルリーフランゲージカレッジという、すげえ長い名前の語学学校に通う。友達とコネつくりの為の2週間だけの通学だった。すみ・くみこ・たか・まさお・ひろみ・やす・けいこ・チョロ さん たくさんの友達ができた。そこにあのトオルこと、森徹もいた。(森徹がいかにすごい世界レベルのスキーヤーになり、そして彼がオリンピック出場目前で癌発覚して、25歳の若さで1998年7月4日アメリカのインディペンスdayに亡くなったのを知ったのは、アメリカにずっといたせいか、ずっと遅く2002年のことだった。トオルは一番若かっただけあって、やんちゃな奴だったが憎めないやつだった。ヤスのアパートでよく飲んだのだが、酒のみながらも腹筋するような高い目標を持った奴だった。そしてスキーの話になるとギラギラと目を輝かせる。ホームステイしてる先のおばちゃんが気にいらないといつもヤスのアパートにきていた。いつもヤスの家にいけばそこに座っていた。そして、いつもヤスの手料理で僕らは飲んでいた。私はそれから牧場に行ったのでそれ依頼音信不通になった。彼のホームページ昨日見つけたので是非みてください。 特に人生つまらないとか思ってる人必見です。これ見てやれることやりましょう!と言う感じです。)
2週間しかない学校はあっというまに進んでいく。次の住みかを探さなければ!ということで日系の店でバンクーバー新報(日本人居住者向けの新聞)を買ってルームメイトを探す。ノースバンクーバールームシェア $365ドル デイブ という広告その中から見つける。
 その夜ホームステイ先のケルビンとクレアに告げ、電話で話したとおり早速デイブのアパートを尋ねることにした!というかDAVEはわざわざ向かえにきてくれた。 赤いフォードのフェスティバで現れたデイブはロングヘアーその横に乗るケビンもロングヘアーそして車の中ではホワイトスネイクとかデフレパートとかのへビィメタルをわりかし大きなボリュームで聞いている。 私は彼が自分でしゃべるまでは聞かなかったが、子供の頃事故で顎を負傷したらしく。 すこし彼の発音はクリアーではない。DAVEはCIC(Canadian International College)という結構日本の芸能人のご子息とか、金持ちの息子の行く学校でCOOKをやっており学食をつくっている。 前のルームメイトコウイチがファームスティに行くので、次のルームメイトを探していた。 アパートは2LDKの広いアパートだったので文句はなかった。多少200缶くらいのビール缶がキッチンに転がってるのは気にはなったが、
「どうしようかな?」みかけほど悪い奴じゃあないようだけど?と思っていると
「Let's boogie」突然DAVEがいう どうやらSLANGでLet's goという意味らしい。僕らはCHINATOWNの外れの中華料理屋に行った。本場中国(どこの地方料理かは分からないが)ちじれ麺でおいしかった。 その後DAVEとKEVINで飲みに行く。結局ルームメイトになってよくDAVEとは飲みにいったのだが、カナダで大体飲みに行く場所場所にストリップコーナーがあった。もちろん食事とJAZZみたいなとこも沢山あったはずだがボクにはあまり縁が無かった。ストリップの所は、アメリカに住んでる時はしっかり入場料を取られるのでほとんどいかなかったが、 カナダの場合入場料がないので、誰かと飲むときはそんなBARの後ろの方で飲むことがひたすら多かった。アクション映画の1シーンのように鉄の棒をつかってクルクルストリッパーは回っている。
 DAVEの言葉がボキャ不足だったので、バーで辞書をだして調べようかしたら、DAVEが慌てて辞書をひったくるようにして奪った。
「ここでは使うな。」と言っている。 まあ確かにね。と辞書を直す。
BARからの帰り、私はDAVEにルームメイトOKと返事をした。
 結構ルームメイト見つけるのに苦労していたらしく。 かなり喜んでいた。 

SAKURASO 1
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ミッションバンクーバーの牧場での6ヶ月の滞在の後、またバンクーバー市内に戻らざるを得なくなった。
 なぜならあと6ヵ月後ワーキングホリデー終了後に、帰国するチケット代が足りない為だ。
 所持金はあと300〜400ドル程度しかなかった。帰りのチケットは約600ドルなので、お金を稼がないと帰れない。
 NANCYは僕にずっといてほしいみたいで、「牧場の土地分けてやるから、ここに住め。」と言っていたが、そういうわけにもいかなかった。
 春が終わると放牧の季節がくるので、まったく仕事しなくてもいいので、それでも構わないから、「あと半年いてくれ。」という超甘い提案も泣く泣く断った。VANCOUVERに戻るしかなかった。 
 友達の菅原直人君に(NYで美容師になるといってNYに行ったが元気だろうか? これ見たらメールください!)教わったSAKURA荘に行った。 SAKURASOはVANCOUVERのCHINATOWNの外れのホームレスがうろうろしてる治安の悪いところにある日系カナダ人の為の老人ホームだ。
 部屋が若干余るので、若いワーホリや学生連中に貸している。管理人の白河さんと話す。「うーん DEPOSITはいらん。200円でいいよ。」ここのおじいちゃん達はドルを円と言い切る人が多かった。 金も無いので即住むことに決めた。 部屋は2階で6畳ほどだろうか? トイレと風呂は共同である。築100年くらいで古いけど贅沢はいえない。
 速攻でスモークサーモン屋で仕事を決めてSAKURASOでの暮らしは始まった。 
 その日の朝から毎日不思議なことが起こった。 毎日6時くらいにコンコンと誰かがドアをノックしていくのである。 最初はまじめに幽霊かとおもったが、あんまり続くので、ある日おもいきりノックの後、ドアを開けた。
 犯人はSAKURASOに住むおばあちゃんだった。振り返りもせずドアを叩いていく。全部叩くわけではなくところどころだ。夢遊病? あんまり毎日続くので多少怖くなり菅原氏に聞いてみる。 彼は意味深にニコニコ笑い。「俺もやられたよ。」といいながら説明してくれた。
直径2CM位の青札と赤札というのがドアの横にぶら下げられていた。赤札は体調が悪いので、毎日生きてるか確認してください!という意味らしい。 青は健康だから大丈夫の意味である。 帰ったら急いで偶然に赤になっていた札を青にした。 
 他には ゴキブリにもだいぶ悩まされた。CANADAのゴキブリは1〜2cmしかないのだが、 なんせ数が物凄く多い。1日20は殺していた。(その当時は気づかず使ってなかったが、その後アメリカでも一時悩まされ、ようやく気づいたのだが、コンバットが一番ゴキブリには効き目があると思う。まあどうでもいいことだが!)
 ここに住むおじいちゃんおばあちゃんはどこか悲しそうだった。 廊下であって今暇ねと聞かれて、「暇ですよ!」と答えると3時間コースがはじまる。第2次世界大戦中のRELOCATION CAMPの話が始まる。日系のアメリカ人・カナダ人は、財産を政府に没収され集団CAMPで生活させられた。後で、日系カナダ人には2万ドルの慰謝料が政府から支払われたが、その当時の話が続く。お金では戦争の傷は癒せないようだ! 
 他のおじいちゃんは、故郷を飛び出してきたけれどもいまさら帰れないと涙して嘆く。 いろんな意味で思い出深いSAKURASOだった。   
 
ミッション バンクーバー2
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牧場生活から2日後くらいから出産ブームが始まった。 だいたい春先から種つけが始まるので今から15頭ばかりが出産するという。 最初に産気?づいたのはハーモニーだった。夕方から始まった出産だがROSSがなんか慌ててる。なんだろうと思ったら「Bridge」BRIDGEと大騒ぎしている。ROSSはちょい色眼鏡をかけた大男だ。牛のことになると本気モード全開で、職人モードになり怒鳴り散らす。(まあ慣れればたいしたことないが)熱血牧場親父だが、家ではおとなしい。
 ブリッジって? と不思議がっているとRossが見てみろと指差す。後ろ足がかすかにおしりからでてきていた。なるほど逆子のことだなとやっとわかった。本来なら前足の爪がみえないといけないのである。
ROSSはいそいでVet(獣医)を呼んだ。遅くなるとどっちも命を落としたりするらしい。 緊迫している。30分くらいしてVETは来た。ただちにバーン(牛小屋)の横柱にくさりをかけそれを赤ちゃんの前足にかけ、それを梃子のようなもので引っ張り始めた。相手が牛なので、そうしないとちと重くて無理なのかもしれないが、結構おおがかりな作業だった。あれやこれやと30分後、赤ちゃん牛は「スパーん」ととびだしてきた。 最初でてきたときはべちゃっとしてたが、乾いてくると大型犬くらいの大きさでとてもかわいい。ハーモニーは必死で赤ちゃん牛をなめている。VETは鼻に藁の先っぽを入れてくしゃみをさせている。 
嫌がらせかと思いきや、気道の確保である。やがて生まれてまもないのによたよたしながら必死で立とうとしている立派なものである。Rossもようやく安心したらしく笑顔がでてきた。牧場に来て初めての出産だが感動である。
 のちにその牛は、クリスマスの為にトロントから遊びに来てるおばあちゃんにチェルシーと名づけられた。 
 その後の牧場での牛の出産は順調だった。1頭だけタミーという牛の出産の時は、ROSSもNANCYも出かけなくてはならなく私一人で世話することになったが、その時はすでに仕事になれていて、逆子確認気道確保と完璧だった。
 1ヵ月くらいたつと、なかなか私も頼れる奴になってきたみたいで、たまにNANCYが何とか委員?(遠い昔で忘れたが、警察に容疑者が捕まったときに黙秘件とか犯罪者の権利とかを、説明しにいく半公務員的な仕事らしい。)で牧場を離れたときも、つつがなく仕事をこなした。
 そして、完全に牛を操れるようになった頃。(自己評価) NANCY不在で犬のLady(黒のプードル系雑種)と仲良く作業をしていたら急にウンチをしたくなった。家に帰る余裕がなかったので発作的に牛達のど真ん中でウンコした。雪が大分積もっていたのだが防寒してたので寒くなかった。紙もなかったのだが雪でふけばいいと思っていた。クリスタルや他の牛達が厳重に囲ってくれたので寒くなかった。Ladyは牛達からは嫌われてるので、黒くて小さい犬なので追い回されるのである。遠くから私を見てる。牛達はみんな私のことを仲間だとおもっているので蹴る牛もいなかった。 ウンチが終わってからは気持ちよかった。いつも牧場ではたくさん食べるのででかかった。雪の塊でお尻をふいた。いまさらなのだが、あまりの冷たさに気を失いそうになった。自分の予知能力のなさに驚いた。私は慣れたフォークで凍り始めたウンチをひょいと一輪車にいれると、母屋に向かってLADYと歩き出した。  
ミッション バンクーバー 1
思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!
22〜23歳まで、カナダのバンクーバーにワーキングホリデーで行った。金も無かったので最初の2週間だけ語学学校に行ったが生徒の98%位は日本人だった。 最初から友達づくりの目的で語学学校に行ったので、それはそれで友達もでき良かったのだが。そして2週間はあっという間に終わってしまった。
 学校が終了して、DAVEという酒飲みのカナディアンとアパートをシェアをしながら、地元バンクーバーで職を探し続けた。100件くらいレジメ(履歴書)をもって地元の店まわりをしたがなかなか仕事がみつからなかった。21から英語を勉強しなおした私の実力では、英語がいまいちだったのでしかたがないといえばしかたがないのだが、、、、
日本のお土産屋くらいしか働けるとこがなかった。それでも良かったのだが、 しかし、日本人と一緒に働いても英語が上達しないのでねばるだけねばった。 所持金の2000ドルはあっという間に食費と365ドルの家賃で減っていった。
 そこで、コンタクトカナダという会社に400ドルの所持金のうちの120ドルを支払いファームスティプログラムというものにゆだねることとした。(一日朝1時間と夕方1時間程度、牛のえさやりとバーン(牛小屋)の掃除を行なうというのがファームステイのルールだった。) 
 紹介してもらった牧場はバンクーバーから東に車で3時間ほどいったミッションという小さな町にある大きな牧場だった。日本人なんて物珍しい町である。 マンローズ サニーブレッド ファームという向こうで言えば中規模な牧場だった。
 そこには 牧場主のロスとその妻ナンシーがいた。その当時確か55歳くらいだったと思う。 馬なんかのれてもいいなとか思っていたが、残念ながらそこは肉牛専門だった。 約50頭の肉牛がそこの牧場で飼われていた。最初のころはかなり牛になめられた。冬の間は牛達をペン(囲い)にいれておくのだが、ロスはイートンズというデパートのストアマネージャーをやっており、土日にしか牧場をやらないので、ナンシーと一緒にえさやりとウンコ取りをする。バンクーバーはカナダの中では比較的温暖なのだが、それでもまだマイナス10度程度あったので、牛のウンチは30〜40cmの冷凍ピザのようになる。それをでっかいフォークで器用に一輪車にのせていく。ペンの中なので、牛達は廻りを行ったり来たりしている。ナンシーは僕に赤い作業用ジャンパーを貸してくれていた。 内心やばいんじゃあないのと思った。 闘牛とか赤は確かデンジャラスな色のはずである。案の定、牛達は新人の私を見下すようにまわりを歩きそして近寄ってくる。 そして、 後ろ足で一発!一生懸命拾った「冷凍ピザ」の入った一輪車を一撃でたおしていった。彼女の名は「クリスタル」ハーモニーから昨年生まれた娘牛で、度胸がいい! 最初のころこそは分からなかったが、 2週間くらい経つと私は牛の顔と名前と性格がだんだん分かるようになってきた。 牧場経営者はすぐに分かることかもしれないが、私にとっては驚き以外のなんでもなかった。 しかし最初は結構怖かった。 1歳(1年)の牛でもかなりでかい。2〜3年経つともう立派な成人である。 後ろ足でけられようものなら、そこいらの格闘家並の破壊力ではないだろうか? しかしこの牧場での経験は私の英語学習に計り知れなく貢献したのはいうまでもない。
       今回はこのくらいで! またそのうち書きます!     
 

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