思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!
3から続く! 1から読んでね!
AIR CANADA飛行機内で書いたCANADAイミグレーション突破用の原稿は、便箋10枚ほどにもなった。シアトルには日本人の審査官がいたが、バンクーバーには多分いないであろうと思ってじゃんじゃん書いた。
不幸にもシアトルカナダ間はプロペラ機だったため驚くほどに、なんかバウンドする感じで揺れまくった。
でも気が張っているせいか、下を見てものを書いててもまったく気持ち悪くはならなかった。 バンクバーに到着してイミグレレーションに到着する。着くやいなや。
「VISAは?」と聞かれる。思い切り
「無い。」と答える。嘘つかんでいいので気楽だった。便箋をちらちら見て身振り手振り説明しだしたら、なんかもどかしいみたいで、見せろと言われたので便箋をみせた。その女性の審査官はその手紙をもって、後ろのPCのあるところに行き、せかせかとPCに何か打ち込んでいる。なにか拍子抜けした感じで、(気分的には話したかったのだが)タイプが終わるのを待つが、なかなかおわらない。やっと終わったかと思えばあちこちに電話を始めた。
30分程度待ってようやく審査官は私の方にゆっくりと来た。(まさか、ここで強制送還じゃあないだろうな?」と身構えた。
やや早口の英語で、
「ワーホリVISA無しで、ワーホリはできないの知ってるよね。」みたいなことをきいてきた。
「yes, I know」あんまり逆らうのは利口じゃあないと思った。
いよいよ来たか強制送還と思いながら、確か噂によれば、定額分あとで飛行機代請求されるんだっけ?とかいろいろ考えてしまう。
すると審査官は、
「普通の観光VISA渡すから、3ヵ月以内に再入国してください。もしVISAが後で来なかったらそのときは日本に帰ってください。」と言って念押して通してくれた。やっとカナダに入国することができた。うれしいというより 疲れてくたくただった。
私の荷物は、機内荷物置き場にぽつんと1つ残っていた。この荷物をもって晴れて今カナダの地を踏む!と言いたかったが! VISA無しインチキ入国の私には当然の報いとして、機内荷物手荷物のフル検査が待っていた。
一つ一つ今度は男性の係員が荷物を見て、時には質問してくる。これが一時間ばかりかかり、やっと終了。
到着予定時刻から6時間以上遅れ夕方遅くイミグレーションを抜け入国。頼んだはずのホストの出迎えは無し(あれだけ遅れりゃああたりまえだけど!1万円はもちろん返金無しでした。) ふらふらになってタクシーに乗った。 そして、ノースバンクバーのケルビン&クレア ホイール家に着いた。 ケルビンは高校の先生でクレアは妊娠後期だった。 ここで学校にいる間だけ2週間滞在することにしている。
ケルビンは、なかなかいい人で高校の先生らしく、私の話をよく聞いてくれる人だった。疲れきった私のためにjapanese musicがあると言い。日本の童謡特集なんか由紀さおりさん達が歌うようなものを聞かせてくれた。 いや なんかその音楽は 今の俺にはまだ!とも思ったが、一生懸命世話してくれるのでちゃんと聞いた。
土曜日についたので、月曜日から語学学校に行った。翌日見るカナダは広大で自然が多くて空気がきれいで本当に素敵な場所だと気づいた!
ワーホリVISAがない4終わり
最後に! 皆様はくれぐれもVISA申請等は慎重に行ってください!
もちろんこの話はtrue storyですが同じ行動をとることはは絶対にお勧めできません!
思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!
2から続く
シアトルの空港に降り立った。シアトル経由バンクーバー行き。 まずはシアトルを通過しなければバンクーバーには到着しない。 なんとかここを突破しなければと考えながら空港の中に走る電車に乗った。 あまりの空港のでかさに感動したかったが、そんな心の余裕がなかった。
やがてイミグレーションの窓口についた。
ドキドキする。そしてすぐに順番がくる。黒人の女性の審査官だった。英語で挨拶する。彼女は特に質問せずにパスポートと例のリターンチケットに目を通していく。そのまま「見逃さないかな。」と期待する。 彼女はチケットをじっと見て、
「San jose? How are you gonna travel from Vancouver to San Jose?」
今さらだが San Joseっどこだっけ?と考える? とっさに僕が思いついたのがSan Diegoの位置。(San Jose在住の方知らんですいません。)
「By bus」と答える。 今だったらグレイハウンドで一人旅でとかもっともなことが言えるのだが、 その当時そんなものは知らなかったし、グレイハウンドの名前すら知らなかった。
審査官は僕の顔をじっと見ると、
「Wait here」と僕を列の横にとりあえず出した。
次の飛行機まで1時間弱しかない。しかしここを突破するのには時間がかかりそうだ。
「やばい。」と心の中で焦る。みんな列の横にはねられた僕を、不思議そうに、もしくはやばい人のように見ていく。
列はどんどん片付いていく。 機内で一緒になったおばちゃんもちらりとだけ目線を向け軽く心持ち会釈して去っていく。
最後に私一人だけになった。 審査官の合図で警備の男二人がこっちに来て私を連れて行く。 着いた場所は取調室のようなところ。
物凄くその部屋が私に圧迫感を与えるのが一つあった。それは、窓に鉄格子が入っているということだった。
さっきの検査官が早口の英語で言った。だいたいの事は分かった。
「私のスーツケース類がすでにバンクバーに転送されているので、今手持ちのバックを、日本語をしゃべれる検査官が来て調べるという。」
日系アメリカ人の審査官はすぐにやってきた。
肩より上のショートヘアの本当に普通っぽい中年の女性は、入ってくるとすぐに、
「すいませんが、手荷物しらべさせてもらいますね。」といって、私の手荷物を調べ始めた。 やばいと思ったがここで動くともっと怪しまれるのでそのまま調べてもらう。しかし、少し抵抗して、
「あの〜 次の飛行機が間に合わないのですが?」と聞いてみる。
「次の飛行機の心配とかしないで、強制送還の心配をしたほうがいいんじゃあないですか。」審査官の強烈な返し。
強制送還の言葉の響きにもはや身動きできない。何も悪いことするつもりも無いのだが、警備の男二人もやや遠めで見張っている。
日系女性審査官は、私が伊丹でもらった元同僚の手紙を読み始めた。
「ここに、ワーキングホリデー頑張ってって書いてあるけど?夢に向かって頑張ってとか。あなたワーキングホリデーできてるんじゃあないの?」と審査官は厳しく言った。 そしてとどめの一言!
「今、正直に言わないと本当に強制送還になるけどいいの?」頭が真っ白になった。 そして観念したように全てを審査官に話し始めた。
悔しくて悔しくて、半泣き状態になりそうだったが、なんとかこらえて全てを話した。
話したあとは審査官はすごい優しかった。
「シアトルからバンクーバーへは通すけど、バンクーバーについたら正直に話てくださいね。あとは向こうが決めることだけど。」と言ってくれた。そして、まだ飛行機間に合うかもしれないと Air CANADAの搭乗口近くまで送ってくれた。 別れ際にもう一度審査官の人は、
「ちゃんと、きちんというのよ。 頑張ってねワーキングホリデー。」と送り出してくれた。非常にありがたかったと同時に絶対バンクバーでもイミグレーション突破しようと心に決めた。
Air CANADAには時間ぎりぎりに行ったが、すでに飛行機はでた後だった。ものすごく焦って下手くそな英語でどうしたらいいとまくし立てる私を見て、カウンターのちょっとポチャっとした。白人のお姉さんが、「そんな心配しないで、次の飛行機に乗せるから。」と微笑みながら言ってくれた。
次の飛行機まで2時間程あるが、しなければいけないことはたくさんあった。 まず2週間だけホームスティする予定をたててたので、1万円払って申し込んでいたホストファミリーによる空港お迎えサービスのキャンセルをしなければいけない。
小銭をまったく持っていなかったが、同僚が、
「海外行った時の残り。」と伊丹でくれた2ドルを下手くそな英語で両替する。電話をかけるがいまいち使い方がわからない。
使い方掛け方を、電話の近くのアメリカ人に聞くが今ひとつわからない。ちょっと田舎からきた風のアメリカ人に聞いたら、
「Push 0 Talk to the operator!」だけ、むしろなんで私がわからないのか不思議がってる。 しょうがないから受話器を上げてお金を入れる0を押す。 お金いれなくてもオペレターとは話せるらしく。オペレターがもうこれ以上お金入れるなと電話の向こうでわめいてる。ようやくオペレターとの話が通じてなんとかHOSTFAMILYと話す。
「VISAがなくて帰れるかどうか分からないので自分で帰ってくる。」と何とか告げることができた。
あと1時間あるのだが、そこから私は紙と鉛筆をとり、イミグレーションについた時に一言一句全てが伝わるように必死でイミグレーションで話すことを紙に書き始めた。飛行機の中でもなぜこういうふうになってしまったのか、 なぜ入国したいのかとかとか理由を書いた。
飛んでる飛行機の中でも必死で書いた。あまりにも必死で書いてたので、フライトアテンダントが不思議そうに私をみていた。
最終章4に続く!
思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!
1から続く!
黒ぶち眼鏡の搭乗待合手続きのアメリカンairのおねえさんは言った。「あの〜ワーキングホリデーということですが?visaを見せていただけますか?」きた〜と思った。緊張度が高まる。
「いや、大使館のミスでvisaがこないんです。旅行者として入国しますから」と返す。黒ぶち眼鏡のお姉さんの顔が見る見る困った顔に早や代わりした。
「じゃあ帰りのチケットはお持ちですか?」帰りのチケット? そんなの持ってるわけ無いし買う金も無かった。
「いや、持ってませんイミグレーションでちゃんと説明しますから。」黒ぶち眼鏡のお姉さんの顔が困りに困って泣きそうな顔に見えた。明らかにイレギュラーなお客さんにぶつかってしまったからだ!
「いや 無理です強制送還されますよ。」話せば話すほど、向こうもだいぶ必死になってきた。 多分強制送還になったら、その当事者を通した窓口係りとして責められるのだろう。
しかし 私もまだ若かったし貧乏だったし必死だった。 問答は激しく5分程続いた。 遠くからいとこ家族が不思議そうに見てる。あきらかに時間がかかり過ぎている。
私もここで引き下がる分けには絶対いかなかった。
「どうしても行きます。 私のミスではないのだから、行ってきちっと説明します。」と言い切った。
黒ぶち眼鏡のお姉さんは、もうほんとに勘弁してほしいという目で
「お願いですから、帰りのチケットだけ買ってください。そうしないとここを通せません。日付オープンで買ってあとでキャンセル返金できますから。」と言い切った。回りの人はいったいなにがあってるんだろうと横目で「じとっ」と見ていく。
「なんか、俺ってほんとにやばい人なのかな。」と考えてしまう。
「いくら。 チケット。」吐き出すように聞く。
「24万円(バンクーバーー成田)です。 ここは定価のチケットしかありません。」黒眼鏡が言う。 自分の顔があまりにもやばくて紅潮していくのが分かる。
カナダドルトラベラーズチェックで2000カナダドル。そして、クレジットカードの為に日本の銀行に残した20万円。That's all! それが全財産だ。正直に黒眼鏡のお姉さんに
「お金がありません。」とだけ言った。しかしお姉さんもあきらめない。
「いくら持ってるんですか。」と矢継ぎ早に聞いてくる。
「20万。」ぼそっと答える。
「SAN JOSEー成田(サンノゼ)だったら18万円であります。」
サンノゼ?どこ?と思ってたが聞きもしなかった?
これを買ったらカナダについいて速攻キャンセルして返金してもらうまで、口座の残金は2万円。手持ちのカナダドルは2000ドル苦しい。合計2200ドル程度しかない。苦しすぎる!
しかし、もうチケットを買わざるをえない状態に追い込まれていた。
とうとう 私はサンノゼ行きのチケットをカードで買った。しかし、これで全てが終わるわけは無かった。
少しづつ心配しはじめたいとこ達に、何も無かったように「にこっ」と笑ってお礼を言うと飛行機に向かった。
SAN JOSEの位置も今だわからないまま、シアトル行きの飛行機に乗り込んだ。アメリカンエアラインのサービスは良く。座ったらすぐ好きなだけ酒を飲ませてくれた。トイレに行きたくなって、スチュワーデスにトイレの場所を聞く「WHERE IS A LABORATORY?」スチュワーデスが2人してクスクス笑っている。僕はなんで笑っているのかも分からない。
後で調べたがLAVATORYだった。その当時はこの程度の英語力だった。この程度の英語でイミグレーションで説明する自信があったのだから、今考えるとあきれてしまう。
しばらくたって隣に座った、シアトルに帰る家族連れのおばちゃんと仲良くなった。話がはずんでVisaの話になる。今までのいきさつをぺらぺら話した。するとおばちゃんは驚いた目で、
「じゃあ Visa無しで、旅行って言って入国するの?」と聞いてきた。
なんか、改めて他人から状況を聞くと自分のことが「悪人」に聞こえる。
その後、多少気まずくなったのか、沈黙の世界になった。 私は一睡もできず、飛行機はシアトルに到着した。
悲惨な話は3へ続く!
思い出した順番にとりとめのないお話をあなたのところに届けます!
カナダ行きのワーキングホリデーのVISA(査証)の取得は半年ほど前、そう、充分過ぎる程前だった。しかしいっこうに会社の寮に届く気配はなかった。
8月の終わりに会社を退職して9月12日にVancouverへのAIRチケットも確保済みである。いまさら飛行機cancelしてチケットを駄目にして、ワーホリ自体を延期するわけにはいかない。
何度も大使館に電話して確認してみるが、「ちゃんとくるはずです。質問にお答えできません。」と大使館らしい返事。何度かけても同じ!
心配事がグルグル駆け巡る。
そういえば!「申請書に1年まとめてください(通常6ヵ月で更新)と書いたら1年期間でVISAが来た。ラッキー!」とかワーホリ本に書いてあったので、それをまねして書いてみたたのが悪かったんだろうか? それで目をつけられたんだろうか? いろいろと考えてしまう。
そしてだんだん日付は迫ってきて9月11日。まだ手元にvisaは届かない。
canada大使館は相変わらずというか、電話もまともにつながらないので、とうとうワーキングホリデー協会に泣きついた。すると裏ルートから大使館員にコンタクトしてくれた。(Access is Powerとか GW BUSHがいってたけど、いい意味でも悪い意味でもそうだと思う。日本語ではコネは力だ!と訳されていたが? 別に私はBUSHのファンではない。)
そう! それで分かったのだが、私のvisaが来ないわけはもっと違った理由だった。 それは、私の身体検査のデータが紛失しているとのことだった。通常、検査を受けた大阪の病院から香港のカナダ大使館検査施設に直接送られるのだが、その書類が紛失しているという。
もちろん大使館が紛失したのか? 病院が送りそこなったのか分からないし、それを追求する時間もない。 なんせ明日バンクーバーに行かなければいけないのだ! そんな暇等あるわけない。
「どうしてもいきたい。キャンセルしたくない。」とワーホリ協会に相談する。
だって明らかにこのミスは私のミスではない。健康診断受け直しなんかしてたら、絶対にカナダ行きが延期になりチケットがパアになる。
どうしようかと思っていたら、ワーホリのカナダの規定の改正があり、カナダに行って、チャイルドケアとかの仕事につかなければ、健康診断がいらなくなったのでVISA(査証)は発給できるという。急きょ改正されたらしい。 しかしそれでもvisa到着まで2週間ほどかかってしまう。 それではチケットが無駄! もちろんお金はない。
切羽詰まって電話で相談してたら、ワーホリ協会の人が「旅行者として入国する方法があるが、それは危険がおおいな?」とぼそっと独り言を言った。 しかし、それを私は独り言として聞きのがさなかった。
「そうだ旅行として行って、そして出国して、送ってもらったVISA(査証)を使って再度ワーキングホリデーとして入国すればいいではないか!」 これでいけると確信した私は翌日、会社のみんなが見送る伊丹空港に向かった。空港では、みんなから手紙や小物等をもらった。
30人くらいが来てくれた。 これはもう後には戻れない! そして、羽田経由で成田に向かう。成田へはいとこ達が私を空港まで送ってくれた。 そのまま頑張りますと元気よく旅立つはずだった。 しかし、搭乗待合手続きで黒ぶちの眼鏡のお姉さんにおもいきり引っかかってしまった。
この悲惨な話は パート2へ続く! すぐでるのでよろしくです!